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この度の東日本大震災により被災された方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

3月の大地震の後に迎えた春彼岸の時期に、墓前でご先祖様に無事を報告されている多くの方たちを拝見して、「お墓」は私たちにとって、心のよりどころなのだと改めて痛感しました。そこで今回は、日本の「お墓」の歴史について調べてみました。

①日本のお墓の始まりは
日本のお墓の始まりは?そもそも日本の「お墓」の歴史は、旧石器時代から縄文時代初期の「遺体を土に埋める」という単純なものから始まったとされています。縄文時代には、すでに「死者を埋葬し、お墓を造る」といった慣習があったようですね。

古墳時代と言えば、やはり先程お話しした「前方後円墳」ですね。皆さんご存知の大阪にある仁徳天皇陵が有名です。こういった大きな「お墓」は日本だけではありません。エジプトのピラミッドや秦の始皇帝陵などは、ビックリしてしまうほど大きいですよね。

いずれにしても、大変偉い方達の「お墓」なんです。飛鳥時代には、大化の改新で出された薄葬令で、「お墓」を建てる時の細かい取り決めみたいなものができたそうです。ある意味「お墓」の歴史はここから始まったとも考えられますね。

弥生時代に入ると、木や石の棺を用いて銅鏡や銅剣、玉類などの副葬品も納めるようになってきたようです。それから、この後出て来る古墳時代の「前方後円墳」の先駆けとなった方形周溝墓なんて「お墓」もあったみたいです。これは、周囲に方形や円形の溝めぐらした形をしていました。

②時代が進むにつれ、現代のお墓へと近づいていく

奈良時代から平安時代に移ると、一部の特権階級の間で五輪塔や宝篋印塔、多宝塔などの「お墓」がたくさん建てられたそうです。だんだんと現代の「お墓」に近づいてきたわけです。

鎌倉時代後期から室町時代にかけては、中国から位牌と戒名が伝えられたことで、位牌型の板碑や角柱型の石碑など、今日の「お墓」の原型となる墓碑も建てられるようになってきました。

江戸時代には、確立された檀家制度によって、ご先祖様や「お墓」に対する意識が人々の生活の一部として定着していきます。武士階級では、墓標が建てられたり、「お墓」に家紋を入れたりするようになりました。こうなると、いよいよ現代の「お墓」って感じがでてきましたね。

③土葬から火葬へ移行したのは大正時代

明治時代なると、家制度により家単位で「お墓」が建てられるようになりました。それまで個人や夫婦を対象とした故人の戒名が彫られていた墓石の正面に「○○家先祖代々之墓」などと彫った家族墓へと変わってきたんです。東京の青山霊園をはじめとした、いわゆる公園墓地がつくられたのもこの時代なんですよ。ずいぶん昔からあったんですね。

大正時代には多磨墓地(現多磨霊園)がつくられて、それに伴って土葬から火葬へと移行しました。昭和23年には、「墓地埋葬等に関する法律(墓埋法)」が施工され、その4年後に今人気の民間霊園が誕生しました。そして平成の今も、古の人々が墓前で故人に語りかけていたその心を受け継いでいるんですね。

いや~、ずいぶん駆け足で話したものだから、少々息切れ気味ですよ。フルマラソンを走りきった気分です。まだまだ若いもんには負けませんよ。次回も思いっきりハッスルしますので、楽しみにしていてくださいね。